2011年7月24日 のアーカイブ

内部被曝が心配、大橋を囲む会で

2011年7月24日 日曜日

IMG_20857月24日、臨海コミュニティ会館において、新田臨海支部のよびかけで、大橋を囲む会が開かれました。参加者からは江戸川区が放射線量の定期的な測定を実施していない状況から、放射線の測定はぜひやってほしい、内部被曝が心配、正確な情報が知りたいという声がだされました。

江戸川区は、6月末に一度測定して心配は要らない結果がでているから、放射能のことを正しく知ってほしいという立場です。DVDニュースを作成し区の各施設で上映するほか、私立保育園などにも配布しているようです。

日本共産党江戸川区議員団が独自に測定し、その結果をもって15日に区に対応を要請しましたが、24日の建設委員会で、公園の清掃とすべり台の下のマットや砂の取替えの要望は環境事業団に伝えたと回答しました。24日の福祉委員会は、放射線の測定を求める陳情の審議がはじまりましたが、子ども連れの方も含め多くの区民の方が傍聴に訪れていました。定期的な放射線量の測定、具体的な対策を求めていきます。

大橋を囲む会では、放射線の測定はしっかりやってほしいと、保育園で働くKさんが強調しました。保護者の中には、子どもを実家に預けている人もいます。また、園庭の土を入れ替える時は手伝いますという申し入れもあったそうです。Mさんは、学校で野菜をそだてているが、内部被曝の心配はないのか、子どもたちの食べ物が心配だ、どうして稲わらを測らなかったのかと思う、放射線量をぜひとも正確に把握したいと。また、G さんは、江戸川の避難場所はどこか、この臨海町では津波が来たらどこににげるのか、また、障害者は災害の救助を求める時に、黄色い旗などの目印を配布してほしいともだされました。Iさんは、孫がいるが、母親の娘は水や食べ物の産地に敏感になっている。例えば、栃木の米はだめとか、息子は好きなおすしを食べないと、心配なことを次々に話されました。

原発を期限をきめてゼロにしていく日本共産党の提案について、原発がなくなったら電気が足りなくなって働く場もなくなり大変なことになると考える人が多いが、自然エネルギーの開発に力を入れれば、雇用も増えるのではないか、沖縄の基地がなくなったら働く場所がなくなるという話と同じだと話が広がり、日本の家庭用電気料金は高いとか、独占企業だからいわばおどしのやり方で世論をふうじようとしているなどがだされました。まったく私も同感です。

最後に、区政報告を30分くらい語らせていただいて終わりとなりました。区政報告は、私の質問内容と区の対応、セバタ団長の質問内容と対応、東日本大震災救援バザーの報告などです。また、やりましょうと次回の開催を約束して終わりました。懇談するといろいろ教えていただけるし、私も区の行政の問題点や共産党がどうがんばっているか伝えることができるのでうれしいです。他の地域の方もどうぞ。9月3日の夜は西葛西地域で、9月4日の午後は女性後援会で懇談会が予定されています。

安全でおいしい給食があぶない栄養士さんが民間委託

2011年7月24日 日曜日

江戸川区の学校給食は地元の野菜を使ったり、伝統食や行事食をはじめ、ふれあい給食やバイキング給食などおいしいだけではなく、食育もふまえており、子どもの健全な給食になくてはならないものです。どの行政も給食には気を使っていますが、江戸川区が優れていたのは、昭和50年(1975年)から正規の栄養士さんを区費で全校配置にしたことです。その優れている全校配置を、区長が昨年10月、区採用の栄養士はやめて、民間に委託するという方向をうちだしました。そもそも、栄養士の仕事は民間に委託できることなのか、人件費節約というものの今の給食の質を維持していけるのか、特にアレルギー食をどうするのか、教員の給食指導と連携できるのか、食育が継続できるのかなど疑問や不安がたくさんだされています。民間委託反対の請願もだされています。これから、文教委員会で審議していきますが、民間委託反対の世論を大きくしていきたいです。

学校栄養士の配置基準は学校数の二分の一です。半分の学校には栄養士さんがいませんでした。いない時は、統一献立です。栄養士さんが2つの学校を掛け持ちでめんどうを見ることは栄養士さんたちの過重な仕事につながります。約40年前の母親たちは、自分たちの学校から栄養士さんがいなくなったことに不安をもち、同時に、教員が給食の食材を発注していることにも驚き、大きな署名運動を展開し区に請願しました。

1971年に私が教員になった時にも、栄養士さんがいない学校は、授業中に調理師さんが教室にきて、食材が足りないからと、授業を自習させて業者に電話したという話を聞いていました。また、給食の発注や支払を実際に担当する先生方は、校務分掌(役割分担)では、給食が一番大変と話されていたのを思い出します。私が新米の教員ではその大変な仕事はしませんでしたし、転勤した船堀小学校は栄養士さんがいましたので、お手伝いという形でした。当時の教職員組合では、給食担当の教員がその実務のために授業準備ができないという実態を語り一緒に署名をしました。「子どもたちのために」が合言葉でした。

他の行政区は、どこも、2分の1のままでした。江戸川区が正規で配置したことから、栄養士さんたちだけではなく、教職員組合女性部も栄養士の全校配置を求めて粘り強く運動をすすめました。東京都との交渉では、全校配置は必ず要求しました。各行政区ごとに、正規ではないものの、非常勤栄養士さんが配置されたという報告が組合の大会で報告されると大きな拍手でした。江戸川で全校配置してから36年、いまでは、多くのところで栄養士さんの全校配置(含む非常勤)がすすみました。

栄養士さんの全校配置で大きく変わったのが、給食の質です。食材の吟味から手作りのおかず、季節の伝統食やバイキング給食など、次々に盛り込まれました。手作りのコロッケが給食にだされた時は感動しました。また、いわしの煮物が骨ごとたべることができ、栄養士さんに作り方を教えてもらいました。子どもたちのために栄養士さんの全校配置ができたことは大きな進歩でしたが、教員にとってもたいへんな実務が減ったことがよかったと感じたことを思い出します。

子どもたちが給食をどれだけ楽しみにしているか、毎朝、献立票を必ず見てくるという子どもたちもいます。時には、食べられないものがあると困った顔をみせますが。給食のエピソードはたくさんありますが、一つだけ紹介します。1年生担任の時です。小エビのから揚げを見て、食べられないと泣き出す子がいました。「えびが私を見ている。こわいから食べられない」といいます。私は、だいじょうぶよといいながら残してもいいからといいました。いまでも、その日のことはよく覚えています。子どもがいろんなことを感じることを学んだと同時にどう対応していいかわからなかった自分がいるからです。