2011年9月 のアーカイブ

台風一過

2011年9月25日 日曜日

IMG_0171IMG_0174IMG_01769月21日の夕方、風速41メートルを記録した台風は、江戸川区内の街路樹を80本もたおしていきました。土木部保全課は夜11時半まで待機して処置をし、終わらないところは早朝から対応したそうです。渋谷の街路樹が倒れてタクシーの上にたおれた映像がニュースで流れたので、江戸川はだいじょうぶか心配でした。私は、風が強いので、車がとばされそうになるので家にいました。被害はありませんでしたか。

第六葛西小学校の校庭の木と藤棚の藤が棚からそぎおとされていました。風の強さは場所によって違うようです。校庭の木が倒れても大きな事故につながらずよかったです。

この前の台風では紀伊半島は大変でした。まだ影響が残っており、一日も早い復旧がまたれています。今回の台風も被害を大きくしてます。東日本大震災の被災地にも被害がでました。日本列島縦断の台風は勢力を衰えさせないで通っていったのも被害を大きくしましたね。自然災害が多いのが日本です。先人のとりくみに学びながら、災害に強い街づくりをすすめたいとますます思いを強くしました。洪水対策のためのポンプ所の増設、地下の貯留菅の建設、堤防本体の強化など急がれます。また、高層住宅との防災協定の締結も急がれます。荒川のロックゲートの視察時に、国土交通省が見せてくれたDVDでは、荒川沿いの北区が決壊するという想定でした。河口付近の堤防決壊は想定されていないのです。それにしても、スーパー堤防が本当に必要か、区長さんに考え直していただきたいところです。

原発さようなら

2011年9月25日 日曜日

IMG_0166IMG_0164IMG_0159IMG_01619月19日、「さようなら原発集会」で明治公園をいっぱいにした人たちは6万人。その人の多さは驚くばかり。私のそばにいた方が、小選挙区制反対のとりくみ以来だなと語っていました。私は、地下鉄でいったため、混雑していても人の流れがありましたが、私の友人は、千駄ヶ谷のホームがいっぱいで動けず危険だったといっていました。集会の会場はあまりにも人が多いため、競技場脇の公園で待っていました。でも、集会の声は聞こえず、集会が終了して2時間以上、4時半になってもデモの隊列は動き出しません。どうしても夕方は用事があったため、残念ながらデモの参加はあきらめて帰ってきました。原発はいらないの声をアピールしたかったですね。またの機会に。

さて、この集会は、ノーベル賞作家の大江健三郎さんたちがよびかけたものです。集会当日の発言はみなさん心に残る名言です。赤旗日曜版に掲載されたものを転載します。

昭和に15年の戦争がありました。沖縄戦、広島・長崎への原爆投下。原爆の実験場にされたこの国は、原発など持ってはいけなかったはずです。何百億円が原発の安全性PRと推進のために使われ、毒は広がりました。民主主義に傲慢な姿勢で、こんな低レベルの責任をとらない非科学的な人々に命が握られてきたと思うと寒気がします。今回の事故の原因と真相の究明を徹底させたい。老若男女を問わぬ人間のとりでを築いていきましょう。(澤地久枝さん)  

恩師・渡辺一夫先生の文章の「狂気」を「原子力エネルギー」み変えると次のようにいえると思います。「原子力エネルギーなしでは偉大な事業は成し遂げられないという人々もおられます。それはウソであります。原子力エネルギーは必ず荒廃と犠牲を伴います」。私たちは原発に抵抗する意志をもっていることを、想像力を持たない政党幹部や経団連の実力者に思いを知らせる必要があります。そのためにできることは、民主主義の集会、デモしかないのです。(大江健三郎さん)

ほかにも、すばらしい的確な発言が続きます。日本の良心ともいうべき著名人の発言を大事に、もっともっと日本に原発はいらないの声を大きくしていきたいと思います。 

地震の活断層の上にある原発など考えられない設計です。福島第一原発事故のような、全電源喪失の可能性を否定し、実際に電源喪失の事態に陥ったときの海水注入もすぐにしなかったという人災はもう終わりにしてほしい。どれだけの犠牲を払ったか。新潟の刈羽原発もかろうじて重大事故にならなかったものの、可能性はあったといいます。刈羽原発の敷地には、関東・東京ナンバーの電源車が、今現在駐車しているそうです。

原発はいらない、さようなら」「自然再生エネルギーへの転換を」大きな世論にしていきましょう。まず、駅頭や街頭で宣伝していきます。そして、署名を集めます。できることから一歩をふみだしましょう。

猿橋にはじめていきました

2011年9月25日 日曜日

IMG_01569月18日、3連休の真ん中ですが、山梨県の猿橋、ぶどう狩りに、葛西の後援会の方といってきました。猿橋ははじめてです。テレビで17日夜にとりあげていたそうです。連休でもあり、テレビの影響もあってか、渋滞がひどく、食事の会場へ直行しました。猿橋は帰りによることにして。朝、8時に葛西から高速にのり、新宿まではスムースでしたが、それからが大変。おいしいほうとうを食べさせてくれるという昼食会場まで5時間かかりました。高速の休憩場所に入るだけでも時間がかかります。幸いトイレがあまりこんでいなくてほっとしました。山梨に実家があり、いつも帰るときにバスを利用している猿田さんが、こんなに混んだのははじめてと驚いていました。

ほうとうは具沢山でおいしかったですね。おみやげに買ってきました。まだ食べていませんが。具の材料がまだ整いません。かぼちゃと野菜、きのこがたっぷりでした。ほうとううどんの量も多いので、子どもたちのだれか家に来たときに作ります。それまでちょっとお預けですね。

ぶどうがりを楽しみにしていましたが、作っている方によると、このところ温暖化の影響か、熟すのが年々早くなっているとのこと、18日にはほとんどありませんでした。でも、試食としてだされたお皿いっぱいのぶどうにお腹がいっぱいになりました。すてきなデザートでした。ぶどう園で売っていたぶどう酒と桃のジャムを買いました。農園では、桃にも力をいれているそうです。夏に桃を食べに来たいものです。おみやげのベリーAのぶどうもおいしかったです。帰ってから一房をぺろりと食べてしまいました。これだから太ると思いながら。

ハーブ園は、ハーブ製品の宣伝のためにあるようでした。説明の方は、わかりやすく話されていましたが、ハーブの化粧品、ブルーベリーのジュースなどをうりこみました。仕事とは言え、話はじょうずでしたね。私は、ジュースを購入。毎朝、飲むと良いといわれて買いましたが、まだ飲んでいません。牛乳にまぜてのんだらおいしいかもしれませんね。

さて、念願の猿橋です。渓谷に作られた橋げたのない木造の橋です。水面まで三十メートルという高さなら、普通はつり橋にするところを、木を組み木のようにして両側からささえて約30メートルもの橋をささえています。橋を渡った後、しばらく橋の下をみていました。いまでもその組木のようすが目にうかびます。先人の工夫はすばらしいですね。話は変わりますが、スカイツリーの芯柱の構造も地震対策として法隆寺の五重塔から学んだと聞きました。先人のすばらしさ、それを維持してきた努力、観光地の方はきっといろいろな苦労があるのでしょうね。ボランティアガイドの方が熱心に話をされていました。私は、それを聞けなかったのですが、またの楽しみにとっておきます。

帰りは、5時半に猿橋をでて、葛西についたのは、8時半。家についたら9時になっていました。お疲れ様でした。

企画してくださった実行委員のみなさま、参加された53名のみなさま、ありがとうございました。バスの中で、いろいろお話をさせていただいてうれしかったです。区政報告、放射能汚染と除染、原発撤廃、共産党を大きくするために力をかしてほしいなどかなり時間をとって話させていただきました。また来年も五月の連休明けくらいに後援会の旅行を計画していただいています。その時もご一緒しましょう。今回は参加できなかったみなさま、次回はご一緒しましょう。楽しみにしています。

鹿本幼稚園がなくなるなんておかしい

2011年9月22日 木曜日

IMG_0151IMG_0152IMG_0153IMG_0154IMG_01559月1日、区議会の文教委員に、区側が鹿本幼稚園を平成25年度(26年3月末)で廃園にすると説明にきました。平成13年に退職者不補充の方針が決まり、平成14年から実施されたためだとの説明。私は、納得できないこと、文教委員会で意見をいわせていただくと回答しました。

同じ9月1日夜6時半には、幼稚園の臨時PTA会長会が開かれ、教育長と課長が廃園の事情、区立幼稚園の今後についての説明をしたそうです。8月31日には鹿本幼稚園の評議員会で説明があったとのこと。9月6日には在園児の保護者に話があり、その1週間後に、これから入園予定の「あいあい」グループの方に伝わったようです。

9月16日は文教委員会。区から廃園の経過、理由、今後の見通しなどの説明がありました。文教委員のなかには、廃園はやむをえない、保護者への説明を丁寧にするようにという要望を述べた方もいましたが、私は、この間の経過の説明を求め、反対であること、次回、反対の意見をいわせていただくことを表明しました。

9月17日は、鹿本幼稚園のバザーです。私は、文教委員として直接保護者の方の話が聞きたくてうかがいました。廃園の話を聞いたお母さんたちは、怒りでいっぱい。たくさんのお話をききました。

廃園の話を急に聞いてどうしてよいかわからない。年子の子どもがいて、来年は上の子は鹿本幼稚園を希望して下の子も翌年預ける予定だった。私立幼稚園は申し込み締め切りがせまっていて、どこにするか短期間では判断できない。公立に下の子が入れないなら、私立の3年保育に入れるしかない。2人同時に別々の幼稚園に行くことになり大変になる。廃園は困る。鹿本は徒歩で通えて、手作り弁当を持たせられる。自主性を大切にしてくれてあそび中心の保育内容を気に入っている。他の近い幼稚園にいくように区はいっているが、保育内容が全く違う。どういう環境に入れたいか。安心できて子どもも楽しく通える鹿本にいれたい。

突然の発表は非常識だ。松江も小岩第一も進め方が乱暴だ。区立がないから私立にしてくださいというのはどういうことか、教育委員会に聞きたい。自分の通っていた幼稚園がなくなるのを子ども本人はどうおもっているのかきいてみたら、偉い人に、幼稚園なくさないでと手紙を書いていいのかなと話していた。今、区にメールで問い合わせている。困っていること。どういう経緯で決まったのかを聞いている。

区として私立だけに幼児教育をまかせてよいのか。ビジョンをもっているのか。私立は公ではない。利益がないとなりたたない。純粋な教育ができるのか。公立と私立を選べないことをどう思っているのか。子どもがへっていることで区立を無くすのは納得できない。保育の質が違う。先生方の技術、おもいがうけつがれていかない。

最終的に全部公立をつぶす。退職者不補充のため。やりかたがきたない。小岩のときもそうだった。

お金がないならきちんと区民に説明すべき。アーチェリー場に9億円かけている。利用者は年間209人。40年前に私立を作ってもらったというが、今、地域のことが大切だ。江戸川区はいいねというが、私立の補助金が多いだけだ。私立幼稚園のリーフは1園ごとにあるのに、公立は今年度のものができていない。子どもがいないから先生やとえないと区は説明している。子どもを集められたらと、ボランティアも力をいれてきたのに、実際は1クラスだけの募集にしてしまった。入りたい人はいたのに。子どもを増やす努力はなんだったのか。私立幼稚園は落着かない子はよその園にいってくださいとどこも入れてくれない。私の娘は全部断られた。公立は違う。小さい時からいろいろな子とふれあいはいじょされない。

鹿本がなくなると、地域で気軽に遊べるところがなくなる。あいあい事業もやめるのか。区としての幼児教育の方針がない。サポート保育を期待していたのになくなった。お母さん方が助かると思ったのに、ある私立保育園からよこやりがはいりやめたそうだ。子ども対策が雑だ。

たくさんの声が次々によせられました。次の文教委員会は10月24日。しっかりとりあげて質問していきます。

小俣のり子区議が代表質問で9月29日にとりあげます。

西葛西小すもう大会

2011年9月22日 木曜日

IMG_0150IMG_0149IMG_0147IMG_0145IMG_0143IMG_0140IMG_01389月17日、西葛西小学校で相撲大会がありました。校長先生のお話では、はじめは、有志で行なっていたのを、参観日として学校行事に位置づけ、全員のとりくみになったとのことでした。相撲大会の様子を写真をとってきましたので、ごらんください。男女関係なくしっかり力を使っていました。全身の力を使うすもうは、体育の種目としてはなかなかいいものです。ただ、土俵がなく、おすもうマットではふんばりがきかないので、力をぶつけあうというのは難しいところです。西葛西小は本物の土俵があり、すもうマットも線だけではなく俵があるものでした。お金がかかっていますね。

すもうの行司は、お父さんたちです。朝から汗ばむようなお天気でしたが、子どもたちは、元気いっぱいにすもうをとっていました。一度にはできないため、校庭にいない子どもたちは、教室で学習をしているようです。先生方は、自分のクラスの子どもたちの立会いの時に呼び出しをしていました。

低学年・中学年・高学年のグループで、それぞれ1年3年5年からはじまりました。保護者の方も朝から応援に駆けつけていました。子どもの姿がみられる学校の行事はこれからもできるだけ参加したいと思いました。

北海道、区議会文教委員会視察

2011年9月13日 火曜日

9月7日から9日まで、北海道への視察に行ってきました。日本共産党江戸川議員団は、視察(調査)にいく際は、近県や1泊でもよいのではないかと意見を述べてきました。また、2泊3日の予定でも、3日目の調査がない場合には2日目の夜に帰ってくる場合もありました。税金で視察にいくあり方に意見を言ってきたのです。私も、当然だととらえ、3日目の視察が必要なければ1泊でもよいと意見を述べました。他の先輩議員も3日間充実した内容にしていこうと述べられ、北海道教育大札幌附属小学校、小樽博物館、帯広図書館の3箇所の視察調査となりました。

今後、時期は難しいですが、がんばっている震災後の学校の視察にもいってみたいと思っています。

9月7日は、8時半羽田発の飛行機で出発し、12時には札幌附属小学校に着きました。前日までは大雨で、札幌小学校は6日は休校にしたそうです。忙しい中、丁寧に対応していただきました。ホームページで、子どもたちや先生方の様子がわかり、お会いするのが楽しみでした。まず、学校の教育概要をお聞きしました。研究主任は担任を持たないというのも東京とは最も違うところです。また、講師の配置も参考になりました。

わかめごはん、トン汁、ぶどう、牛乳の給食をいただいてから、昼やすみの遊びのようす、5時間目の授業と見せていただきました。校庭で遊ぶためのくつが別のくつばこにあり、子どもたちがかけだし、中には虫取り網を手に持っている子もいます。裏庭には樹木がしげっているミニ林があり、環境は抜群です。これはまねることは無理ですね。でも、これに近いような公園作りは可能です。こどもたちが木登りや虫取りができるようなスペースをつくっていきたいものです。

付属小は1時間かけて市内全域から通ってきますので、帰ってから友達と遊ぶことには無理があります。そこで、遊びにかけるエネルギーはすごいと、先生方が教えてくださいました。もちろん、江戸川の子どもたちも同様ですが。そこで、付属小では、毎週火曜日に45分の昼やすみをとっています。10月からの冬季期間はやめますが。ひとつの工夫ですね。

付属小は、全学年2学級で、オープンスペースの教室の広さは東京の2倍、ロッカーは2つ、水道の蛇口は2クラスで6箇所、収納場所や水廻りなどうらやましいです。オープンスペースは実際はやりにくい面があるのではと思いましたが、そこは聞けませんでした。教育実習生が1クラスに少なくても3名はいて、子どもたちもしっかり学習していたのは付属小ならではではないでしょうか。

音楽の斉藤先生の授業を見せていただくのが楽しみでしたが、予想通りすばらしい子どもの歌声で、「ありがとう」のコーラスは胸にひびきました。音楽の楽しさを味わう授業はいいですね。

子どもたちのあいさつや笑顔、授業中のがんばりにふれてすてきなひとときをすごすことができました。ありがとうございました。