2011年10月 のアーカイブ

認証保育所保育料助成制度を提案

2011年10月29日 土曜日

認証保育所が江戸川区にはたくさんあります。それだけ、保育所に預けたい若い世帯が多いといえます。ところが、23区で江戸川区だけ保育料の助成を行なっていません。

区長は、認証保育所に補助金をだしているからこれ以上の補助はいらないという見解です。しかし、経済状況が悪化し世帯収入が減収する中で、認可外施設(認証保育所・認定保育所など)の毎月の保育料は保護者にとって重い負担になっています。

条例案は、一ヶ月一人一万円の補助金を提案しています。9月現在、認証保育所に在園しているのは855人。1日8時間あずけて、基本料金の平均は5万2289円となっています。勤務先が遠ければ10時間くらいあずけることにもなります。駅に近いところでは、8万円という負担をしている世帯もあります。保育料が高いので、毎週、月曜日は休ませて、子どもを祖父母に預けてやりくりしているというお話も聞きました。

日本共産党江戸川区議員団は、2011年第一回定例会(3月)で、保育料の助成制度の提案をしました。残念ながら成立はしませんでしたが、区議会議員選挙の時の公約でもあります。今回の第3回定例会に条例の再提案をしました。

議会の最終日、10月27日の本会議で、私が提案しました。ぜひ、実現させたいです。切実な声を議員団までおよせください。

学校給食栄養士の民間委託は困ります

2011年10月16日 日曜日

第3回区議会定例会は、決算特別委員会があります。教育費を論議するのは17日月曜日です。それを前にして、「栄養士の民間委託を考える」シンポジウムがありました。これに参加しましたが、栄養士さんの「安心安全な手作り給食」を守りたいという意欲があふれるシンポジウムでした。

他の区から転勤されてきた小学校の先生は、江戸川の給食を「作り手の心のこもったおいしい給食」と表現し、その内容は、①多彩なメニュー、②「旬」の食材、③これも手作り、④きめ細かく対応、⑤「食」を学ぶ、とみごとにまとめました。民間では栄養教諭としての仕事ができないことも指摘しました。

栄養士さんは、子どもの健康教育、健康増進のためにどんなことができるかいつも考えている。これは、簡単にできることではない。全校配置35年の実績がある。都の基準は2校に1名。江戸川特産の小松菜をとりいれた給食、誕生日給食、バイキング給食、セレクト給食、野外お弁当給食、地域やお年寄りとのふれあい給食、夏休み親子クッキング、小中連携食育授業などさまざまなとりくみをすすめていると実績を。

アレルギー食を個別に対応してもらっている母親からは、民間で今のような対応ができるか心配という思いが訴えられました。子ども2人がアレルギーで、卵白に反応するので予防接種のたびに約1週間入院を余儀なくされていたとのこと。5歳になってアレルギーとはっきりしたことで食材を吟味し落着いてきたそうです。命に関わるアナフラキシーの発生時の対応ができるか心配とも。

江戸川区の学校給食を考える会からは、区長や教育長はチエックするのは校長と教育委員会がやるからだいじょうぶだと説明していること、10年前の給食の業務委託のときに委託するのは調理業務だけと説明したことを、今回は、「栄養士を民間委託しないとは言っていない」と答弁している無責任な態度を批判、言った言わないではすまされない重大問題だ、こういう人が江戸川区のトップでいいのかと厳しく指摘しました。

今まで栄養士さんたちが積み上げてきた実績・ノウハウをいとも簡単に民間に手渡していいのか、利潤を求める民間の栄養士が子どもの立場にたてるのか、区長の「民間に出来ることは民間に」という政治姿勢は変えなくてはと痛感したシンポジウムでした。学校栄養士の民間委託反対のとりくみを一層強めたいと思いました。

江戸川区民まつり・葛西まつり

2011年10月16日 日曜日

IMG_0228IMG_0225IMG_0204IMG_0223IMG_0218IMG_0212IMG_0209IMG_0200IMG_0229IMG_023034回目となった区民祭り、実は、私は、初参加でした。区民祭りがはじまったころ、この日は学校行事は入れないようにとお達しがあったことを思い出しました。今年は、議員として参加しました。はじめの写真は、パレードの観覧席です。幼稚園や小・中学校の鼓笛やマーチングパレード、一輪車、デコレーション車と続きます。発表の場として大きなステージです。貴重な機会ですが、必死の表情の小さい子どもたちもいます。幼稚園児には負担が大きいのではないでしょうか。葛西地区からは、清新第二小学校が参加しました。お疲れ様でした。がんばった子どもたちに大きな拍手を送ります。

たくさんの区民の方で、会場はいっぱいです。食事が長蛇の列で買えず、公園外の露店のたこやきを買いました。バナナが安くすぐ買えたのでのでこれも購入。伝統工芸のお店で、洋服ぶらし、根付、虫除けなどを購入。祭り会場ではありませんが、近くのおせんべいやさんにもよりました。私は、買い物ツアーのようでしたが、楽しみな企画もたくさんありました。時間がなくて、物産展やそのほかのイベントには参加できず残念でした。

お祭り会場が、放射線量はだいじょうぶかという区民からの問い合わせがあったことから、測定を区に申し入れましたが、都立公園だからといわれ、急遽、都にも申し入れました。日本共産党都議団が急遽対応してくれて、10月6日に申し入れ、都が掃除をしっかりやるように、その日の午後指示をだしてくれました。除染とまではいきませんでしたが、掃除を丁寧にやっていただきありがたかったです。

今年は特に、イベント会場の放射線量が心配です。このような心配をさせる国や東京電力の対応の遅れを抗議するとともに、区民のいのちを守る立場からの区の対応も求められます。

翌週の10月16日は葛西まつりです。葛西区民館・葛西健康サポートセンター・滝野公園などを会場にしてのお祭りです。こちらもたくさんの参加者でした。船堀小学校勤務時代のPTA会長さんとお会いできてうれしかったです。たくさんのボランティアにささえられてのお祭りですね。復興支援、福島の物産展でかぼちゃを買いました。暑い日で歩いただけでかなり疲れました。

パワー全開運動会

2011年10月9日 日曜日

IMG_0193IMG_0194IMG_0195IMG_0196IMG_019710月8日、船堀幼稚園の運動会に行ってきました。6つのレンジャーにわかれての運動会は、その設定から楽しさ満杯です。小学校の教員の時にも参観すればよかったととても後悔しました。特に、船堀小学校には13年間も勤務したのですから。でも、この時は子育てでゆとりがなく、行動範囲がせまかったことがくやまれます。

朝9時の開会には、参観の保護者がたくさん、未就園児の受付もあり、配慮が行き届いています。

開会式のお話の後、園長先生が、隊長に変身して子どもたちの前にあらわれる演出はいいですね。幼稚園の園長先生は、行事の審判も。お疲れ様でです。

年長さん、年少さんの準備たいそうも一生懸命です。先生方のお手本もすばらしい。

次の予定があるため、つなひきだけの応援となりましたが、3クラスの総当りで、うみ組のパワーがだんとつでした。私の隣の席で応援していたのは、3月に退職された副園長先生でした。うみ組さんは年少の時から元気いっぱいだったとのこと。クラス替えはないそうですので、そのまま、パワー全開でした。

鹿本幼稚園の閉園と他の2園(どこかは不明)の閉園計画が9月に発表され、幼稚園関係者に大きなショックをあたえました。

幼稚園の先生の退職者不補充。これが規定の事実として区は説明するばかり。10月6日の鹿本幼稚園説明会でも納得できる説明ではありませんでした。区は、公立幼稚園に期待するみなさんの声を受け止めてほしい。私も、区議会文教委員会でがんばります。

街路樹・アキニレ

2011年10月5日 水曜日

IMG_0192IMG_0191IMG_0190自宅のそばの街路樹はアキニレです。この写真は10月4日にとりました。写真の車は、大橋の宣伝カーです。青空に緑が映えます。ところが、この街路樹に問題がありました。

9月はじめに近所の方から相談がありました。「虫が発生して困るから区にいって剪定してもらったが、できれば街路樹をとりかえられないか」とのこと。さっそく区に連絡し、9月中旬に話し合いをもちました。連絡したらすぐ来てくれたのはうれしかったですね。

土木部街路樹担当の2人の方に、「虫に困っている。おもきって木をかえてほしい。なくてもよいのでは」と近所のみなさんが次々に話します。紀伊半島に大災害をもたらした台風の雨が大変だったこと、街路樹の剪定や掃除のこと。さらには、木の根っこで歩道が盛り上がっていること、家の前の道路に水がたまりやすいことなどを話します。

土木部の方は、水道管工事で街路樹を一時抜いているところがあること、来年の3月ごろこのあたりも工事があるが、このアキニレも該当するか検討すると約束してくれました。そして、懇談できてよかったと帰りました。

それから10日後、要望どおりにことがすすみ、予算もついた旨の連絡がありました。お役に立ててよかったです。住みやすい地域にするためにこれからもがんばります。

日本共産党の議員として

2011年10月1日 土曜日

IMG_0187IMG_0180IMG_0184IMG_0185IMG_01891922年に日本共産党は結成されました。天皇制廃止、侵略戦争反対、自由と民主主義を求め、文字通り「いのちがけ」でスタートしました。私は、歴史でしか知りませんが、天皇制に意見をいうだけで死刑判決という治安維持法が1925年にできたのは、非合法とは言え、日本共産党が結成されたからでした。結成当時から、支配者は日本共産党が大きくなることに最も警戒したわけです。

しかし、小林多喜二に代表される文学者をはじめ、女性たちもその戦列に加わったのは、戦前の日本共産党の示した理想が、いかに希望jにもえる青年の心をつかんだかがわかります。

私が、入党したのは大学生の1998年5月。先輩のよびかけに応えたことがきっかけでした。「私でできることがあれば」と、政治変革への道を歩み始めました。父は、私が入党してまもなく他界。社会は簡単に変えられないと意見がぶつかりあったままになってしまいました。母は、何もいいませんでしたが、いなかに帰ってきて活動するなという態度でした。私が生まれた栃木県は、教員採用枠が少なく、最も多い東京都に採用されました。当時は、美濃部革新都政の時代でした。

教員になったばかりの時は子どもたちと気持ちが通じないこともあり、教員にはむいていないのではないかと考えることもしばしばでした。先輩から、悩んで当たり前、悩むからこそ成長できると励まされたことがその後の私の姿勢となりました。子どもたちとすごした38年間は反省することが多いのですが、子どもたちから学んだことがたくさんありました。子どもたちと関わる仕事ができたことはすばらしいことでした。

定年退職後、日本共産党の区議会議員として今新たなスタートです。はじめて体験することがおおいため、何か、40年前の教員新規採用時代にもどったようです。文字通り、第二の人生です。すばらしい仕事を2つもできるのは本当に光栄です。学んだことが活動にいかせるのもうれしいです。区民のみなさんとの対話は区政をかえる原点でもあります。政治家としては、区民要求実現が大きな仕事ですからね。

議員になって地域のみなさんと行動することが増えましたが、9月25日、日本共産党中央委員会及び「あかはた」編集局、あかつき印刷所の見学にいきました。夜中に編集をおえて、印刷され、新聞が届くまで多くの方の力があること、そのしくみがよくわかり赤旗新聞を増やしたいと思って帰りました。

また、あかつき印刷は、東京都の仕事も入札で獲得してやっていました。大手の新聞社に比べると印刷機械を運用すれば別の仕事ができるそうです。また、北上市の赤旗新聞印刷工場は、新品の機会を導入した数日後に大震災にあって壊れてしまったそうです。

帰りは、スカイツリーのそばを通り、バスの中から見学をしてきました。観光バスが橋のところにとまり、観光客がカメラをむけていましたね。私たちは、停車すると帰りの時間が遅くなるため、素通りでかえりました。

マイクロバスでたくさんの方が参加しました。これからも多くの方の声を区政に反映できるようがんばります。