2011年9月13日
9月7日から9日まで、北海道への視察に行ってきました。日本共産党江戸川議員団は、視察(調査)にいく際は、近県や1泊でもよいのではないかと意見を述べてきました。また、2泊3日の予定でも、3日目の調査がない場合には2日目の夜に帰ってくる場合もありました。税金で視察にいくあり方に意見を言ってきたのです。私も、当然だととらえ、3日目の視察が必要なければ1泊でもよいと意見を述べました。他の先輩議員も3日間充実した内容にしていこうと述べられ、北海道教育大札幌附属小学校、小樽博物館、帯広図書館の3箇所の視察調査となりました。
今後、時期は難しいですが、がんばっている震災後の学校の視察にもいってみたいと思っています。
9月7日は、8時半羽田発の飛行機で出発し、12時には札幌附属小学校に着きました。前日までは大雨で、札幌小学校は6日は休校にしたそうです。忙しい中、丁寧に対応していただきました。ホームページで、子どもたちや先生方の様子がわかり、お会いするのが楽しみでした。まず、学校の教育概要をお聞きしました。研究主任は担任を持たないというのも東京とは最も違うところです。また、講師の配置も参考になりました。
わかめごはん、トン汁、ぶどう、牛乳の給食をいただいてから、昼やすみの遊びのようす、5時間目の授業と見せていただきました。校庭で遊ぶためのくつが別のくつばこにあり、子どもたちがかけだし、中には虫取り網を手に持っている子もいます。裏庭には樹木がしげっているミニ林があり、環境は抜群です。これはまねることは無理ですね。でも、これに近いような公園作りは可能です。こどもたちが木登りや虫取りができるようなスペースをつくっていきたいものです。
付属小は1時間かけて市内全域から通ってきますので、帰ってから友達と遊ぶことには無理があります。そこで、遊びにかけるエネルギーはすごいと、先生方が教えてくださいました。もちろん、江戸川の子どもたちも同様ですが。そこで、付属小では、毎週火曜日に45分の昼やすみをとっています。10月からの冬季期間はやめますが。ひとつの工夫ですね。
付属小は、全学年2学級で、オープンスペースの教室の広さは東京の2倍、ロッカーは2つ、水道の蛇口は2クラスで6箇所、収納場所や水廻りなどうらやましいです。オープンスペースは実際はやりにくい面があるのではと思いましたが、そこは聞けませんでした。教育実習生が1クラスに少なくても3名はいて、子どもたちもしっかり学習していたのは付属小ならではではないでしょうか。
音楽の斉藤先生の授業を見せていただくのが楽しみでしたが、予想通りすばらしい子どもの歌声で、「ありがとう」のコーラスは胸にひびきました。音楽の楽しさを味わう授業はいいですね。
子どもたちのあいさつや笑顔、授業中のがんばりにふれてすてきなひとときをすごすことができました。ありがとうございました。
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2011年8月30日
2011年8月16日、新潟市在住の義父が永眠しました。葬儀ならびに初七日を終えて、22日に江戸川区にもどってきました。
義父の看病を通して、家族としてどう看取るかということを考えさせられました。夫は、私の母が2010年3月に亡くなってから、自分の親も先が短いということを実感し、2010年8月末で退職し実家で母を援助しながら父の介護をはじめました。父は94歳、母は87歳でした。夫の職場の方から、奥さんはどうするのかと聞かれました。夫婦で親と同居するのが自然ではないかと思いましたが、私の仕事のこともあり、夫は一人で十分だというのでしばらく甘えることにしました。
その後、私に区議会議員立候補の話があり、夫と義母に相談したところ、義母は、「美枝子さんの好きにしていい」と。私は応援してもらって本当にうれしかったです。葬儀が終わってから、選挙中に亡くなったら大変だと思っていたと話していました。ありがたいことです。
とはいっても、日常の介護は大変です。認知症が進行し、幼児のようにふるまう義父です。特に、昼夜逆転の時は大変でした。まだ夫は同居していない時でしたので、ショートステイをくりかえすことにしました。ショートスティ何回目かの時、夜寝ないので退所してほしいといわれ、急遽、別の施設を探してお願いしました。何かあったら退所という施設は多いのでしょうか。いざという時にたよりにならないのはつらいです。夜寝ないので大変かとは思いますが、退所といわれては義母も体力が続きません。2番目の施設は、やや小さい施設ですが、対応は丁寧でした。しかし、本人はいきたがりません。ディサービスに送り出すために、義母は、朝から着替えさせ、準備し、いやがる義父をなだめて送り出し、帰ってきたら洗濯と、ディサービスも大変だといっていました。(義母の支援に買い物ペルパーさんを頼んでいましたが、夫が同居したため申請できなくなりました)また、義父の体力がなくなり、おむつをして寝たきり状態になった時、訪問介護や往診があるからと毎日掃除をしていました。結婚して約70年、ずっと家庭を守ってきた主婦としての力量はすばらしいです。
6月ごろから誤嚥性肺炎をくりかえし、点滴をうける日々となりました。少しでも延命するためには、胃に穴を開ける方法しかありません。しかし、最後まで家で看取ると決めていたので、自宅療養としました。私が8月13・14日に帰省した時は、眠っていることが多かったのですが、16日に息を引き取るようには見えませんでした。家族に見守れ、眠るように息をひきとったのは16日の午後8時55分。認知症で「おれはばかになった」と苦しむ時がありましたが、最後は、幼児のように食事を「おいしいなあ」といって楽しみにしていた義父です。母は、義父の介護がなくなり気が抜けたような状況がありますが、一日も早く、自分のペースをとりもどしてほしいです。
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2011年8月12日
2011年原水爆禁止世界大会に参加しました。全国から参加した7000名の人たちで開会全体会会場は満杯。私たちはやっといすにすわれました。
来賓の田上長崎市長、被爆者の訴え、国連事務総長代理とあいさつが続きます。私は、国連事務総長の代理であるセルジオ・ドゥアルテさんに注目しました。彼は、昨年5月の国連NPT再検討会議の際、日本から持参した約700万筆の署名をわざわざうけとりに来てくださった方です。しかも、今回は、代理とは言え、はじめて、国連事務総長のあいさつをうけたことは、この原水禁世界大会が国連の認知をうけたことになります。なんと心強いことでしょうか。核兵器のない世界への方向が一層強まったのではないでしょうか。
しかし、日本は、菅首相の式典あいさつにあるように、あいかわらず、究極的な核廃絶の立場です。世界は、核兵器禁止条約締結の方向にうごいているのに、被爆国の首相としてあまりにもなさけないことです。
私の大会参加は16年ぶりです。前回は、小学4年生だった娘の百合子と一緒でした。今回は、議会の都合で二日間しか参加できなかったことが残念でした。分科会は、吉井英勝さんがパネリストである「核兵器・原発とエネルギー問題」シンポに参加しました。今大会は、原発ゼロの課題が大きな関心を集めたことが特徴だったのではないでしょうか。原発ゼロを決めたドイツもイタリアも大きな住民運動がその力となっとことも学びました。核も原発もいらない大きな世論作りのためがんばります。
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2011年8月1日
日本母親大会がはじまったのは、1955年。1954年のアメリカのビキニ環礁における核実験で被災した第五福竜丸の事件がきっかけでした。被爆国日本が核の危険を訴えよう、核兵器・放射能から子どもを守りたいと。今の福島原発事故と重なります。今年は、7月30日31日にあの広島で開催され、「いのちを生み出す母親は いのちを育て いのちを守ることを のぞみます」のスローガンがさらに心に響く大会となりました。
記念講演は、反貧困ネットワークの湯浅誠さん。「人間らしく生きられる社会をだれが作るのか。それは、私たちだ」そのために、「つくることと、求めることが大事だ」、「地域や状況によって違ってくるが、たとえば、共同保育所など、いろいろな分野ですでに行なわれてきた。ないものは作ろう」とよびかけられました。(私は、この導入の話から、特に、共同保育所を作ってきたものとして、共感。)
湯浅さんは、ホームレス支援を頼まれたわけではない、この活動を通して学んだことがたくさんあると。高校中退の子は、排除されつながりも切れている。学校の先生が担うのは無理がある。中退してもうけとめるところが必要。未婚率の高さ、30代前半男性の未婚率は49%、7割の女性が年収400万以上を求める。50代男性の未婚率は、1960年で1%、1970年2%、2005年15%。今は、生活はぼうっとしていてはできない時代になっている。
若い人の自殺が増加。13年間日本は自殺者が3万人を超えている。異常だ。そして、本当に異常なのは、驚きがなくなっていること。交通事故死は年間5000人を切った。事件で年に約600人殺されている。増えるこどもの貧困率。
湯浅さんは、お兄さんのことにふれ、障害があるが25年働き続けており、母親は教員を退職した今は自由な時間を楽しむ、兄が仕事ができていることでまわりがうまくいっていると家族を紹介しました。(障害があっても社会に関わって生きる場はまだまだたりません。)
貧困・自殺は人の心に傷を残す。自分をせめるようになる。ホームレスは病院がうけいれない。本人も、自分たちは、世の中にめいわくをかけているからといきたがらない。ないからしょうがないではなく、ないから作る。生活が生きるために必死になるのではない社会を。ぼちぼちいきましょう。と、講演をまとめました。湯浅さんのかざらない話しぶり、8700人の会場をまきこんでの対話を含んだ講演に学ぶことがたくさんありました。
全体会の東日本大震災と川崎なつ記念室維持カンパの訴えは、300万円をこえました。昨年の福島大会では、私が大会運営委員としてカンパを訴えました。今年は、千円札を入れた方が多かったですね。
特別企画のクミコさんの歌とお話も期待通り。「INORI~祈り~」の歌を広島で聞けたのは何よりでした。偶然、NHKの番組で彼女のことをとりあげていましたので、震災当日に石巻市にいて被災した体験もよくわかりました。震災後歌うことができず、再び石巻市で歌えて歌手としての再出発ができたとのこと。
運動の交流は、被災地3県からの訴えからはじまりました。特に、福島の4歳と9歳の母親の決意「すみつづけられる福島にしたい」は涙がでてきました。大阪の日の丸・君が代のおしつけ、日本航空指名解雇、TPP、消費税、普天間基地と次々に訴えがあり、私は、大きな拍手で応援しました。どれも権力の横暴にたちむかっているたたかいです。母親・女性たちのエネルギーを感じます。最後は、15基もある福井県をはじめ、上関(山口)、伊方(愛媛)、玄海(福岡県)、浜岡(静岡)から、原発は要らないのとりくみの報告があり、会場の参加者と思いを重ねました。原発からの撤退を決めなければ、将来に禍根を残します。全国の母親女性たちが子どもを守るためにこんなにがんばっている、それを実感できる全体会でした。
私も江戸川の仲間17人と参加でき、うれしかったです。来年は新潟です。また参加できるように1年間がんばります。
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2011年7月24日
7月24日、臨海コミュニティ会館において、新田臨海支部のよびかけで、大橋を囲む会が開かれました。参加者からは江戸川区が放射線量の定期的な測定を実施していない状況から、放射線の測定はぜひやってほしい、内部被曝が心配、正確な情報が知りたいという声がだされました。
江戸川区は、6月末に一度測定して心配は要らない結果がでているから、放射能のことを正しく知ってほしいという立場です。DVDニュースを作成し区の各施設で上映するほか、私立保育園などにも配布しているようです。
日本共産党江戸川区議員団が独自に測定し、その結果をもって15日に区に対応を要請しましたが、24日の建設委員会で、公園の清掃とすべり台の下のマットや砂の取替えの要望は環境事業団に伝えたと回答しました。24日の福祉委員会は、放射線の測定を求める陳情の審議がはじまりましたが、子ども連れの方も含め多くの区民の方が傍聴に訪れていました。定期的な放射線量の測定、具体的な対策を求めていきます。
大橋を囲む会では、放射線の測定はしっかりやってほしいと、保育園で働くKさんが強調しました。保護者の中には、子どもを実家に預けている人もいます。また、園庭の土を入れ替える時は手伝いますという申し入れもあったそうです。Mさんは、学校で野菜をそだてているが、内部被曝の心配はないのか、子どもたちの食べ物が心配だ、どうして稲わらを測らなかったのかと思う、放射線量をぜひとも正確に把握したいと。また、G さんは、江戸川の避難場所はどこか、この臨海町では津波が来たらどこににげるのか、また、障害者は災害の救助を求める時に、黄色い旗などの目印を配布してほしいともだされました。Iさんは、孫がいるが、母親の娘は水や食べ物の産地に敏感になっている。例えば、栃木の米はだめとか、息子は好きなおすしを食べないと、心配なことを次々に話されました。
原発を期限をきめてゼロにしていく日本共産党の提案について、原発がなくなったら電気が足りなくなって働く場もなくなり大変なことになると考える人が多いが、自然エネルギーの開発に力を入れれば、雇用も増えるのではないか、沖縄の基地がなくなったら働く場所がなくなるという話と同じだと話が広がり、日本の家庭用電気料金は高いとか、独占企業だからいわばおどしのやり方で世論をふうじようとしているなどがだされました。まったく私も同感です。
最後に、区政報告を30分くらい語らせていただいて終わりとなりました。区政報告は、私の質問内容と区の対応、セバタ団長の質問内容と対応、東日本大震災救援バザーの報告などです。また、やりましょうと次回の開催を約束して終わりました。懇談するといろいろ教えていただけるし、私も区の行政の問題点や共産党がどうがんばっているか伝えることができるのでうれしいです。他の地域の方もどうぞ。9月3日の夜は西葛西地域で、9月4日の午後は女性後援会で懇談会が予定されています。
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2011年7月24日
江戸川区の学校給食は地元の野菜を使ったり、伝統食や行事食をはじめ、ふれあい給食やバイキング給食などおいしいだけではなく、食育もふまえており、子どもの健全な給食になくてはならないものです。どの行政も給食には気を使っていますが、江戸川区が優れていたのは、昭和50年(1975年)から正規の栄養士さんを区費で全校配置にしたことです。その優れている全校配置を、区長が昨年10月、区採用の栄養士はやめて、民間に委託するという方向をうちだしました。そもそも、栄養士の仕事は民間に委託できることなのか、人件費節約というものの今の給食の質を維持していけるのか、特にアレルギー食をどうするのか、教員の給食指導と連携できるのか、食育が継続できるのかなど疑問や不安がたくさんだされています。民間委託反対の請願もだされています。これから、文教委員会で審議していきますが、民間委託反対の世論を大きくしていきたいです。
学校栄養士の配置基準は学校数の二分の一です。半分の学校には栄養士さんがいませんでした。いない時は、統一献立です。栄養士さんが2つの学校を掛け持ちでめんどうを見ることは栄養士さんたちの過重な仕事につながります。約40年前の母親たちは、自分たちの学校から栄養士さんがいなくなったことに不安をもち、同時に、教員が給食の食材を発注していることにも驚き、大きな署名運動を展開し区に請願しました。
1971年に私が教員になった時にも、栄養士さんがいない学校は、授業中に調理師さんが教室にきて、食材が足りないからと、授業を自習させて業者に電話したという話を聞いていました。また、給食の発注や支払を実際に担当する先生方は、校務分掌(役割分担)では、給食が一番大変と話されていたのを思い出します。私が新米の教員ではその大変な仕事はしませんでしたし、転勤した船堀小学校は栄養士さんがいましたので、お手伝いという形でした。当時の教職員組合では、給食担当の教員がその実務のために授業準備ができないという実態を語り一緒に署名をしました。「子どもたちのために」が合言葉でした。
他の行政区は、どこも、2分の1のままでした。江戸川区が正規で配置したことから、栄養士さんたちだけではなく、教職員組合女性部も栄養士の全校配置を求めて粘り強く運動をすすめました。東京都との交渉では、全校配置は必ず要求しました。各行政区ごとに、正規ではないものの、非常勤栄養士さんが配置されたという報告が組合の大会で報告されると大きな拍手でした。江戸川で全校配置してから36年、いまでは、多くのところで栄養士さんの全校配置(含む非常勤)がすすみました。
栄養士さんの全校配置で大きく変わったのが、給食の質です。食材の吟味から手作りのおかず、季節の伝統食やバイキング給食など、次々に盛り込まれました。手作りのコロッケが給食にだされた時は感動しました。また、いわしの煮物が骨ごとたべることができ、栄養士さんに作り方を教えてもらいました。子どもたちのために栄養士さんの全校配置ができたことは大きな進歩でしたが、教員にとってもたいへんな実務が減ったことがよかったと感じたことを思い出します。
子どもたちが給食をどれだけ楽しみにしているか、毎朝、献立票を必ず見てくるという子どもたちもいます。時には、食べられないものがあると困った顔をみせますが。給食のエピソードはたくさんありますが、一つだけ紹介します。1年生担任の時です。小エビのから揚げを見て、食べられないと泣き出す子がいました。「えびが私を見ている。こわいから食べられない」といいます。私は、だいじょうぶよといいながら残してもいいからといいました。いまでも、その日のことはよく覚えています。子どもがいろんなことを感じることを学んだと同時にどう対応していいかわからなかった自分がいるからです。
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2011年7月18日
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2011年7月17日

7月16日、10時45分から、新川橋の完成式典が行なわれた。暑い中で行なうため、テント、ミスト扇風機など暑さ対策にも気を使っての式典でした。準備された区の職員のみなさんはテントにも入らず、道案内や式典の補助をされていました。本当にごくろうさまです。
新川橋のらんかんには、葛西中と二之江中の生徒による揮毫で名前を入れてあります。生徒の活躍はすばらしいですね。
区の説明によると、1975年(昭和50年)6月に西側に新たに橋を架け新川橋の幅を広くしたようです。私が、今の中葛西1丁目に引っ越してきたのは、1976年3月。今からふりかえると、橋が完成してからだったようです。私は、長男をたんぽぽ保育園から公立保育所(船堀保育園)にあずけ、保育問題に目が向いていました。バスどおりに用水路があり、道が狭かったことはよく覚えています。
さて、式典は、それから36年たって、耐震工事もして橋を架け替えたことのお祝いです。工事費が13.4億円。担当課長によると、耐震工事にお金が予算より多くかかったとのことです。新川千本桜、江戸情緒の橋と80億円をかけて整備予定が、大幅に予算増になるため、当初予定の人道橋の数を2つ減らし8つにすることにしたそうです。
環境が整うのは喜ばしいですが、木の欄干では傷みがはやい、人道橋は今までなかった、そんなにお金を使って作る必要があるのかなどの声もあります。また、工事中はねずみがたくさん家の中に入ってきて困ったなどの声もありました。区は丁寧に説明会を開いて事業をすすめているようですが、説明会には必ずでかけて、疑問を直接聞くことが大切です。新川橋の事業はすすめられていますが、今からでも要望は区に伝えていきます。住民が主人公です。納得のできる区政を求めて行動していきましょう。
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2011年7月16日


たくさんの方が子どもを守るために行動されています。江戸川区議会に8つの陳情がだされたのはその最も目に見える状況です。江戸川区議員団は、測定を通して、放射線量の数値が高い場合の改善措置・除染措置を区に求めたいと、専門家に協力をお願いして調査を行ないました。7月7日、12日、13日で区内30の場所(主として公園)で約70ヵ所を測定しました。
データは後ほど掲載します。この調査でわかったことは、公園の側溝とすべり台下(降りたところ)のところに高い数値が出ました。他に、倉庫の雨だれが落ちた場所などです。雨が放射能を運んだことが考えられます。
7月15日、江戸川区に、数値の高かった場所について対応を求めました。山崎副区長が応対しました。
区議団は、定期的な測定が不安を解消することにつながると、くりかえし要請しましたが、今後測定はやらないという立場ではないが、今は、測定の予定はないという回答でした。
副区長は、空気中の放射線量は年間1ミリシーベルトをこす値ではなく、現時点での定期的な測定は必要がないこと、健康に害があるという基準が明確になっておらず、判断する場合に困ること、柏市や福島県では、1ミリシーベルトの話は通用しないことなどと話しました。
福島県や放射線量が高い地域では、年間1ミリシーベルト以下を求めると引越ししか方法がありません。しかし、子どもを放射能から守る対策は、できるだけ放射線の被曝を少なくすることを、大人の責任で行なうこと、そこに行政の仕事があります。足立区が学校の砂場の砂の入れ替えを7校で行なったことを例にあげると、通常の管理で十分できるという回答でした。砂場は、年に1~2回砂を補充しているというのです。実際はそのように砂を補充してはいないと反論すると明確な答えはありませんでした。
公園の側溝およびすべり台の下の放射線量が高いところは、清掃の徹底とその部分の砂や下敷きの取替えを求めました。これは、検討をすると回答しました。
また、公園の落ち葉などが放射線量が高いこと、これから、木の剪定で清掃工場にもちこまれた木を燃やせば数値が高くなることは予測されることという認識はしめしました。
公園の落ち葉で腐葉土を作る場合も測定をしてほしいことも要請しました。
とにかく、放射能被曝から子どもを守るこのことにつきます。原発からの撤退を求める署名と、定期的な測定を求める区長宛の署名を引き続きあつめます。
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2011年7月11日
江戸川区議会が7月8日に終了し、放射線関連の陳情が8つもだされました。いかに、多くの区民が行政に対応を求めているかわかります。しかし、区長は、6月27,28日に測定をした結果、健康に影響はない数値であったと安全宣言をだしています。放射線の正しい知識がないから不安を持つのだとDVDを作成して区民にアピールするとのことです。
いわゆるホットスポットはないのか、子どもは、しげみの中や落ち葉であそびます。現在、空気中の数値は安全とわかっていても、降下した放射性物質が地表にたまっていないか心配になります。
自主的に、自分で購入した測定器ではかり、それぞれの機械の特性で、誤差も検討に入れてデータを調べていると、関心が高いあるお母さんが教えてくださいました。行動するお母さんさんたちの悩みは、自分たちは、区に対抗しているのではない、協力しているのにわかってもらえないこと、母親どうしで、そんなに心配はいらない、福島の人に悪いなどと意見がくいちがってきていることなどだそうです。様々な方の思いをたばねていくのは大変なことです。がんばってください。応援しています。
日本共産党は原発からの撤退と放射線の定期的な測定を求める署名にとりくんでいます。
今、内部被曝も心配だという声が大きくなってきています。子どもに影響が出るのは10年後といわれては、不安が募ります。学校の栄養士さんは、給食の食材の吟味に気をつけています。たいへんでしょうが、栄養士さん、がんばってください。
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