家で看取る

2011年8月16日、新潟市在住の義父が永眠しました。葬儀ならびに初七日を終えて、22日に江戸川区にもどってきました。

義父の看病を通して、家族としてどう看取るかということを考えさせられました。夫は、私の母が2010年3月に亡くなってから、自分の親も先が短いということを実感し、2010年8月末で退職し実家で母を援助しながら父の介護をはじめました。父は94歳、母は87歳でした。夫の職場の方から、奥さんはどうするのかと聞かれました。夫婦で親と同居するのが自然ではないかと思いましたが、私の仕事のこともあり、夫は一人で十分だというのでしばらく甘えることにしました。

その後、私に区議会議員立候補の話があり、夫と義母に相談したところ、義母は、「美枝子さんの好きにしていい」と。私は応援してもらって本当にうれしかったです。葬儀が終わってから、選挙中に亡くなったら大変だと思っていたと話していました。ありがたいことです。

とはいっても、日常の介護は大変です。認知症が進行し、幼児のようにふるまう義父です。特に、昼夜逆転の時は大変でした。まだ夫は同居していない時でしたので、ショートステイをくりかえすことにしました。ショートスティ何回目かの時、夜寝ないので退所してほしいといわれ、急遽、別の施設を探してお願いしました。何かあったら退所という施設は多いのでしょうか。いざという時にたよりにならないのはつらいです。夜寝ないので大変かとは思いますが、退所といわれては義母も体力が続きません。2番目の施設は、やや小さい施設ですが、対応は丁寧でした。しかし、本人はいきたがりません。ディサービスに送り出すために、義母は、朝から着替えさせ、準備し、いやがる義父をなだめて送り出し、帰ってきたら洗濯と、ディサービスも大変だといっていました。(義母の支援に買い物ペルパーさんを頼んでいましたが、夫が同居したため申請できなくなりました)また、義父の体力がなくなり、おむつをして寝たきり状態になった時、訪問介護や往診があるからと毎日掃除をしていました。結婚して約70年、ずっと家庭を守ってきた主婦としての力量はすばらしいです。

6月ごろから誤嚥性肺炎をくりかえし、点滴をうける日々となりました。少しでも延命するためには、胃に穴を開ける方法しかありません。しかし、最後まで家で看取ると決めていたので、自宅療養としました。私が8月13・14日に帰省した時は、眠っていることが多かったのですが、16日に息を引き取るようには見えませんでした。家族に見守れ、眠るように息をひきとったのは16日の午後8時55分。認知症で「おれはばかになった」と苦しむ時がありましたが、最後は、幼児のように食事を「おいしいなあ」といって楽しみにしていた義父です。母は、義父の介護がなくなり気が抜けたような状況がありますが、一日も早く、自分のペースをとりもどしてほしいです。

コメント / トラックバック6件

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