2015年7月 のアーカイブ

「広告なくせ」の大西氏は発言の撤回・謝罪を

2015年7月7日 火曜日

自民党内の若手議員の「勉強会」(6月25日)で、報道機関に圧力をかけるような発言があいつぎ(発言者と内容はマイクを通じ室外まで聞こえた)、安倍政権への批判が広がっています。当初、安倍首相は、「事実なら大変遺憾だが、党の正式な会合ではない」と居直りました。28日のNHK日曜討論で、自民党の谷垣幹事長は、「大変申し訳ないという気持ちを踏まえ処分した」とはじめて謝罪の意を表明しました。自民党はこの発言関連で27日に4名を厳重注意しています。

27日の「朝まで生テレビ」は、戦争法案を中心に討論する予定でしたが、与党から一人も出席せず、司会者の田原総一郎氏は、「議論から逃げた」「自公両党は国民を相手にしていない」と厳しく批判するとともに、戦争法案の審議が相当際どい状況に陥っていることの反映だとの見方を示しました。

日本共産党志位委員長は、26日、自民党若手議員や百田尚樹氏からメディアの報道規制を求める暴言が相次いだことについて「言論の自由への挑戦であり、看過できない大問題です。安倍首相は自民党総裁としてきちんと事実を調査し、国民に謝罪すべきだと強く求めたい」と語りました。

大西氏は、昨年、国会審議中に、「早く結婚して子どもを産まないとだめだぞ」とヤジをとばして謝罪においこまれた江戸川16区選出の議員です。私も、このヤジ問題に対して、他の女性議員とともに大西氏に「重大な人権侵害をくりかえすな」の抗議の文書を届けました。ところが、また、この「マスコミを懲らしめるには広告料収入がなくなることが一番。経団連に働きかけてほしい」との発言となりました。しかも、この処分を受けた後の30日も、大西氏は「日本の国を過つような、誤った報道をするようなマスコミに対して広告は自粛すべきなんじゃないか」と攻撃。党の勉強会の発言については「野党が党利党略に使っている」「問題があったとは思わない」と居直りました。言論の自由という最も基本的な権利を破壊する暴言を許すことはできません。

百田氏から「つぶさないといけない」とどうかつの対象となった沖縄2紙の代表は、県民に寄り添った報道を続ける覚悟を語っています。野党の国会議員も6月30日、国会で緊急集会抗議集会を開きました。

子どもの頃、戦争だった 高岡しんごう

2015年7月6日 月曜日

大先輩で尊敬していた高岡しんごうさんが6月26日、永眠されました。私は、ご病気だったことは全く知りませんでした。それは、6月23日付の江東退職教職員の会のニュースで高岡さんのエッセイ「こどものころ 戦争だった 名前のことなど」を読んだばかりだったからです。お通夜には、たくさんの方が訪れ、その活動のつながりの広さがあらわれていました。中でも、このところ、憲法学者として、赤旗にも登場するようになった小林節さんの名前が注目されました。告別式では弔辞を読まれたそうです。この1年特に親交が深まったとのこと、高岡さんの生き方が多くの方に信頼されてきたのですね。心からご冥福をお祈りいたします。私も何よりも平和憲法を守りためにがんばります。

高岡さんの投稿をご紹介します。

生まれたとき、この国は戦争をしていた。小学校に入るとき、国民学校に変わった。「お国のために戦って死ね」と教え込まれた。

私が6歳になった4月、その年(1941年・昭和16年)から小学校が国民学校に変わって最初の入学式。東京市芝区(現在の港区)御田国民学校。担任になる教師が新入生の名前を読み上げると、返事をして立つ。私の番が来た。教師が「タカオカ」と姓だけ読んで絶句したまま、数分。次の子の名前を読み上げた。私は座ったままだった。帰宅後、母から「タカオカ・シンゴウといいますと自分から言わなければダメよ」と言われたが、読めなかった教師に、それとなく不信感を持ったのは否めない。私の名前を初めて見て読めた人は、今まで80年、一人もいない。だから、名刺にはフリガナを入れている。昭和9(1934)年、5月30日連合艦隊司令長官・東郷平八郎が死去。日本初の国葬。その月、6月27日に誕生した私に、漢字に興味が深いとされていた祖父が東郷平八郎の「郷」と当時海軍大臣・大角岑生(みねお)「岑」の音読みで「岑郷」(しんごう)と命名し「末は海軍大将に」との期待を込めたという。「満州事変」からの日中戦争は始まっていたのだから、正に軍国主義の申し子だった。名前は生まれた時代と深い関わりを持っている。60歳を超えてから韓国の友人を訪ねた折、日本が朝鮮植民地支配の時、1939年(昭和14年)に皇民化政策で、朝鮮人から固有の名前を奪って日本式の名前に変えさせた「創氏改名」で、1940年に誕生した弟が、生まれた時から「英雄」と日本名を付けさせられて、1945年8月15日の解放後からの朝鮮名は、通称のまま今に至っていると聞かされた。

私は、子ども心に期待に応え、国民学校3年生のころから広島県江田島の「海軍兵学校」(海軍の将校になるエリートの学校)へ進路を決めていた。4年生になった時、学童疎開が始まった。その頃私は虚弱体質で、医師から集団疎開に耐えられないことを告げられた。父母と二人の姉、一人の妹の6人家族が、夏休み中の8月にこぞって父の実家のある新潟県の寒村に縁故疎開した。翌年、1945年8月、戦争は終わった。

5年生の時、戦争は終わった。新制中学校で『あたらしい憲法のはなし』に出会った。「戦争放棄」の挿絵がまぶしかった。

1945年の日本男子の平均寿命は23.9歳だった。それから70年。地球上から戦火が絶えなかったが、この国は憲法9条で戦争は放棄してきた。2013年に、日本男子の平均寿命は80.21歳となった。私も生かされて80歳・傘寿を超えた。

今、この国が、ふたたび「戦争する国」に変えられようとしている。「子どもの頃、戦争だった」その時に名づけられた名前の由来を忘れず、この国の歴史に向き合って、戦争は、子どもの時の「思いで」だけにしたい。

憲法違反が浮き彫り、戦争法案

2015年7月6日 月曜日

IMG_49587月5日、葛西区民館となりの滝野公園でストップ戦争法案の江戸川集会が開催され西葛西の子どもの広場までデモ行進を行い、沿道の人たちにアピールしました。

IMG_4956集会開始直前まで雨が降っており、デモ行進はきついかなと思っていましたが、デモが始まるときには見事に雨がやみました。天気も応援してくれているようで張り切ってシュプレヒコールの声をあげながら約40分のコースを歩きました。

IMG_4962参加者は約250人。全区的に呼びかけられた集会ですが、会場が葛西地域のため、河野ゆりえ都議や日本共産党の区議も参加していましたが、代表して大橋があいさつをしました。私は、憲法違反の戦争法案を許さないとりくみの先頭に立ってがんばること、反対の声が広がり世論調査で憲法違反というのは56%にもなっていること、区議会で戦争法案慎重審議を求める意見書を3会派13人で提出したことを報告しました。

IMG_4957第二回定例会にむけて、日本共産党は独自の廃案を求める意見書を準備していました。戦争法案慎重審議を求める意見書は、民主・維新・未来の案をもとに意見交換をして、生活者ネットも一緒に共同提案ができました。廃案を求める意見書にするべきだというご意見もいただきましたが、共同で提案できることを大事にしました。これから、街頭でも共同で宣伝できたらいいですね。

IMG_4970集会では、生活者ネットからの来賓あいさつをはじめ、加藤弁護士からの戦争法案についてのお話、青年、教職員組合、9条の会からの発言と続きました。東京土建江戸川支部の「土建9条の会」の旗、新日本婦人の会江戸川支部の女性たちのタペストリーと赤いTシャツが目立っていました。日本共産党は各地域から参加していました。お疲れ様でした。これからまだまだ「たたかい」は続きます。国会包囲とあわせ、地域から、反対の声を広げていきたいです。

学童クラブおやつ持参を検討、公約実現の第一歩

2015年7月5日 日曜日

6月23日から始まった第二回区議会定例会において、25日瀬端勇区議が代表質問、26日牧野けんじ区議が一般質問を行いました。7月7日が最終日です。

この区議会で、学童クラブのおやつについて、大きな変更がありました。自民党・公明党の質問に「保護者の補食持参を検討する」と答弁し、その後の、議会中に開催された文教委員会において、教育長が再び、「教育長がかわり、検討することにした」と答弁しました。ただし、3年前の廃止前の復活は考えていないというものでした。3年前の補食(おやつ)は、希望する保護者から1700円を集めて、指導員が用意していたものです。すくすくスクールで食べる子と食べない子がいることを「わけへだてなく扱う」といって補食を廃止したのですから、大きな矛盾ですが、よいことは賛成です。一日も早く持参が実現するよう私は要望しました。選挙で掲げた公約実現の第一歩となりました。

さらに、日本共産党は、7月7日にすくすくスクール事業条例改正案を提案します。大橋が趣旨説明をします。学童クラブの補食(おやつ)は2013年4月から廃止され、子どもたちはひもじい思いをしてきました。「おなかがすいた」といっても、保護者は何もできず、せめて、持参させてほしいという声がありました。保育時間が6時までという別の事情もあいまって有料学童クラブという選択をした方もいるのではないでしょうか。あるすくすくスクールでは、学童登録の中で10人くらいが有料学童クラブに行っているそうです。区内でも有料学童クラブが増えています。どの有料学童クラブも車で迎えに来ています。区の担当者に確認すると、迎えに来る人を学校にもすくすくスクールにも登録をしてもらって事故がないように気をつけているとのことでした。

学童クラブの保育時間を7時までとしているところも増えています。江戸川区は6時までで、それ以上の希望は個人的に解決してほしいという立場です。まだまだ、学童クラブの充実は時間がかかります。しっかり区民と子どもの声を伝えます。