2011年3月19日 のアーカイブ

戦後最悪、被災死者6911人

2011年3月19日 土曜日

18日の午後9時現在、6911人の死者とのこと、心から哀悼の意を表します。まだ、行方不明の方、一日も早く安否が確認できるように望むところです。現地の不眠不休の救援活動にも頭がさがります。

みなさまによびかけた救援募金は駅頭での訴えで1週間で34万円になりました。ありがとうございます。連休は休んで、また、23日までよびかけます。

私の友人は、いわき市出身。家は流されたものの家族は無事でした。もうテレビの画面を見るのがつらいようです。本当に、私もつらいです。でも、まず、募金をと、1万円くださいました。責任をもって皆様の善意を届けます。

清新町の地震被害大

2011年3月19日 土曜日

清新町に地震被害が大きかったことが視察にいくたびにわかってきました。はじめは、12日は、清新第一中学校の校庭が波うち、水が三分の一くらいたまっていたこと、清新プラザ3号棟の地面の隆起と陥没。道路や公園の液状化。午後から、清新第一保育園の園庭の陥没と液状化の泥がたまった様子を見に行きました。

13日は、スーパー堤防反対の会が液状化現象の視察。埋立地の清新町はまさにスーパー堤防そのもの。江戸川区が今まで40億円投入してすすめている事業が効果がないことがこの地震被害であきらかになったように感じます。

15日は赤旗の取材。被害が大きいと感じられた清新第一保育園に案内しました。園庭をほりかえしている業者の方に聞くと、清新プラザ2号棟(保育園の棟)が断水が続いていることがわかりました。新婦人の井手口さんから1号棟も断水していると聞き、宮川ミドリさんを訪ねました。しんぶん赤旗でもとりあげましたが、年齢が高い方の場合は、本当に苦労が大きくなると感じました。いざという時のサポート体制というのは、日常的なつながりが基本だということも実感したところです。

16日は、液状化の大変さが、しんぶん赤旗の首都圏版に掲載されました。また、この日から、清新プラザ1・2号棟の断水が回復したとのこと、不自由な生活から開放されて多くの方がほっとしたのではないでしょうか。

都営住宅のエレベーター近くの部屋の台所のガラスにひびが入っているとの情報から、都営住宅を訪問しました。

都営住宅では、11日の夜は集会室でお年寄りや一人暮らしで不安な方はすごしたそうです。暖かい心遣いに感動。お年よりはどんなにうれしかったことでしょう。都営住宅は被害が大きくなかったが、となりの戸建住宅がかなり傾いている様子がわかりました。

自治会長さんの案内で、段差ができた玄関でお話を聞くことができ、これからのことを心配されていることがよくわかりました。せっかく購入した住宅が地震でかたむいたのはさぞお困りのことでしょう。国の財政も大変ですが、個人への補助がないと簡単には修理できないのではないかと感じました。また、幼稚園を休ませている娘さんは、少しの音でもおびえている様子がわかりました。こわいおもいをしたのですね。お母さんは、娘さんの気持ちを大事にしてゆったり接していました。しっかりしたすてきなお母さんです。

17日は、清新町の数軒をたずねた様子から、液状化は浦安市も大きな被害がでていることがわかりました。断水が続いているため、親元をたよってきているようです。

18日も被害が大きい清新プラザをたずねました。11階の方は、家具をとめていたのでそれほど被害がなかったとのこと。やはり、日ごろからのそなえですね。我が家は、寝室だけ一部家具をとめています。しっかりやれば被害は少なくなることがよくわかりました。

本当に地震の被害は大きいものの、ここから学ぶことはたくさんありそうです。大変な時こそ政治の出番、私も、がんばります。

写真を入れるグッズをほかの場所に置き忘れて写真が入りませんでした。また、次回。