2012年8月11日 のアーカイブ

新潟ー義父の一周忌

2012年8月11日 土曜日

8月8日、義父の一周忌を新潟市で行い、9日には、義父と義母の生まれた実家のある柏崎市石黒大野まででかけました。法事にきていただいたお坊さんは、原発問題にもふれ、自動販売機がなくなればかなりちがいますねと話しておられました。暑い夏を原発なしでのりきる意味は大きいですね。

さて、8日の夜は弥彦温泉に1泊。総勢13人の大人たちに今年の1月に生まれた赤ちゃんが入るとまたひときわにぎやかになります。赤ちゃんも、90歳になる義母もそろって大野までいけたのはなによりでした。お墓は山の中間部にあります。お墓への山道は、数日前にきれいに草を取り、倒木を切って歩けるようになっていました。ありがとうございます。

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大野は、棚田が広がる山間地です。義母の弟、輝雄さんは80歳近いのに現役の農家です。おいしいお米をおみやげにいただきました。いつも、いただくので恐縮です。新潟のお米はおいしいというと、輝雄さんは、お米の食べ比べをしたら、長野が一番うまいといった人がいたそうだ、わからんという謙虚なひとこと。農業関係の仕事をしている二男のつれあいの俊子さんは、お米ができたところのお水で炊くとおいしいこと、また、炊き方にもよるということでした。納得です。「安心安全な食料は日本の大地から」このスローガンが心に響きます。

法事の時に家族が集まるのはいいですね。みんなの顔を見ると元気がでます。日頃はあわただしくしているのに、法事の時は、時間がゆっくり流れてゆったりできるのもいいかな。

核兵器と原発の廃絶を

2012年8月11日 土曜日

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8月4日~6日まで、広島の原水爆禁止世界大会に参加しました。昨年に続けての参加です。何回目かと問われ、はっきり覚えている回数として5回目としました。

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毎年開催されている原水禁大会への参加が少ないのは、私が、日本母親大会に関わっていたからです。日本母親大会もビキニ環礁の第五福竜丸被ばくがきっかけでした。核兵器はいらないの声が日本中をおおって、母親たちがたちあがったのでした。その歴史をうけついだのが、母親大会です。今年は、8月25日・26日新潟です。夏に2つも参加できないためですね。原水禁大会は3日間開催されるため、ゆったりした時間で行動できます。平和祈念式典に参列できたのもよかったです。私は、核兵器廃絶、原発から自然再生エネルギーへの転換を求める分科会に参加しました。福島県浪江町の馬場町長さんの訴えに東電と国への怒りがあらためてわきあがってきました。

「8月5日で発災から515日がたちました。つらくて悔しいです。3月11日から2か月、人間のくらしではなかった。184名の命が奪われた。3月12日、午前4時41分、避難指示。テレビを見ていてわかった。東電とも連絡協定結んでいたのになんの連絡もなし。国は連絡できなかったという。これはあきらかにウソ。となりの消防署には連絡が入っていた。朝6時から避難指示をだした。集団で避難できれば後の対応がちがってきた。中学校3校、小学校6校の子どもたちがばらばらで一番かわいそう。ふるさと浪江を再生しなくてはとがんばっている。放射能とのたたかい、食品検査機器を仮設住宅に持ってきてほしいと要望が強い。まっていられないので、町で、食品検査機器も買い、ホールボディカウンターも買った。今、7100世帯が15000世帯にもなっている。夫と別居する母子が多い。国は、原発をやめて自然再生エネルギーへの転換をすぐ行うべきである。」(馬場町長の会場発言)

被災地の大変さは聞けば聞くほどせまってきます。放射能から子どもを守れ、この声を大きくし、原発を撤廃するまでがんばらなくてはと思います。

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8月6日、8時から始まった平和祈念式典の子ども代表の言葉、「つらい出来事を同じように体験することはできないけれど、わたしたちは、想像することによって、共感することができます。悲しい過去を変えることはできないけれど、わたしたちは、未来をつくるための夢と希望を持つことができます」に感動し、未来を信じる力がわきました。

核兵器廃絶とともに、原発NOの世論を広げるために、私も宣伝や議会活動をがんばります。