笹本さんが昨年急逝されてから4か月以上たちました。職場で組合の先頭に立って活動し、退職してからは、地域で日本共産党の後援会活動を中心とした地域に根差したとりくみをしてこられた実績豊かな方です。私の選挙の時の選挙対策本部長で、当選できたのも笹本さんのささえが大きかったと今でも感謝の気持ちでいっぱいです。笹本さんのあとをうけつぎ、新たな一歩をと葛西地域のみなさんと力をあわせているところです。4月21日のバザーもそのひとつです。東日本大震災復興支援で昨年は3月11日当日でした。今年は1か月以上たちましたが、滝野公園で行います。前回は笹本さんが会計。今回は鎌田さんがひきうけています。
3月17日、地元の後援会の方が中心となって、しのぶ会を行いました。いつも顔をあわせているみなさんです。笹本美薗さんも「夫は果報者です」と語っておられました。笹本さんの人柄や実績を語りながら、日本共産党を大きくして住民が主人公の政治の実現を、当面、河野ゆりえさんの当選をとあらためて思いました。
翌3月18日は、解放運動無名戦士合葬追悼会でした。毎年この時期に行われます。新合葬者への黙とう、1105人のお名前が読み上げられた後、笹本美薗さんが遺族を代表して故人の生前の活動や思い出を語りました。私も10年くらい前、故人の名前を読み上げる係りで、一人一人心をこめて壇上で呼名しました。少し長くなりますが私のこともふれてあるので紹介します。
夫は高校を卒業後、1959年芝信用金庫に就職。私も60年安保闘争まっただ中の時に芝信用金庫に就職、コーラス部や組合活動を共にするなかで職場結婚をしました。夫は組合の副委員長の任務にもついていたのですが、68年に組合が分裂させられ、「企業ファシズム」ともいわれた争議で解雇されました。全国のみなさんの支援で、80年全面勝利解決で職場復帰。その後私が男女差別是正裁判を仲間と提訴した87年、夫は退職し全新労の書記長として15年務めました。全労連の旗の下で信用金庫・信用組合に働く労働者の地位向上と組織づくりの労働運動にかかわることができたことは大きな喜びであったと思います。02年には最高裁の和解で男女差別・組合間差別も勝利解決しました。全新労を退職してからは地域で日本共産党員しての活動に専念し、11年の一斉地方選挙では選対責任者として区議選の新人女性候補の当選のため心血を注いでいました。彼女が告別式の時お別れの言葉を述べてくれました。「やさしさ、人の意見を受け止めまとめる力、まっすぐな生き方、お酒に酔えば酔うほど楽しくなる、一緒に活動した2年間は私の人生を豊かにしてくれました」と。私は夫をそういう風に理解してくれていたことをうれしく思いました。お酒大好き人間で、「会議の後、仲間と酌み交わしたり話しをすることが大切なのだ」が持論で、地域で活動するようになってもその活動スタイルで組織・仲間づくりをすすめていました。すい臓がんが判明し、たった一か月の入院で、昨年11月22日、72歳で、忙しく突っ走ったまま旅立ってしまいました。何でも相談し合い頼りにすることも多かったので、今はさびしい限りです。精一杯生き抜いた夫の遺志を継ぎ、私も仲間と共に地域で活動を続けたいと思います。今回の合葬に夫を加えていただきましたこと、そして今日の日を準備くださいました皆様に心よりお礼申し上げます(救援新聞より)