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第57回日本母親大会・広島

2011年8月1日 月曜日

IMG_2126日本母親大会がはじまったのは、1955年。1954年のアメリカのビキニ環礁における核実験で被災した第五福竜丸の事件がきっかけでした。被爆国日本が核の危険を訴えよう、核兵器・放射能から子どもを守りたいと。今の福島原発事故と重なります。今年は、7月30日31日にあの広島で開催され、「いのちを生み出す母親は いのちを育て いのちを守ることを のぞみます」のスローガンがさらに心に響く大会となりました。

記念講演は、反貧困ネットワークの湯浅誠さん。「人間らしく生きられる社会をだれが作るのか。それは、私たちだ」そのために、「つくることと、求めることが大事だ」、「地域や状況によって違ってくるが、たとえば、共同保育所など、いろいろな分野ですでに行なわれてきた。ないものは作ろう」とよびかけられました。(私は、この導入の話から、特に、共同保育所を作ってきたものとして、共感。)

湯浅さんは、ホームレス支援を頼まれたわけではない、この活動を通して学んだことがたくさんあると。高校中退の子は、排除されつながりも切れている。学校の先生が担うのは無理がある。中退してもうけとめるところが必要。未婚率の高さ、30代前半男性の未婚率は49%、7割の女性が年収400万以上を求める。50代男性の未婚率は、1960年で1%、1970年2%、2005年15%。今は、生活はぼうっとしていてはできない時代になっている。

若い人の自殺が増加。13年間日本は自殺者が3万人を超えている。異常だ。そして、本当に異常なのは、驚きがなくなっていること。交通事故死は年間5000人を切った。事件で年に約600人殺されている。増えるこどもの貧困率。

湯浅さんは、お兄さんのことにふれ、障害があるが25年働き続けており、母親は教員を退職した今は自由な時間を楽しむ、兄が仕事ができていることでまわりがうまくいっていると家族を紹介しました。(障害があっても社会に関わって生きる場はまだまだたりません。)

貧困・自殺は人の心に傷を残す。自分をせめるようになる。ホームレスは病院がうけいれない。本人も、自分たちは、世の中にめいわくをかけているからといきたがらない。ないからしょうがないではなく、ないから作る。生活が生きるために必死になるのではない社会を。ぼちぼちいきましょう。と、講演をまとめました。湯浅さんのかざらない話しぶり、8700人の会場をまきこんでの対話を含んだ講演に学ぶことがたくさんありました。

全体会の東日本大震災と川崎なつ記念室維持カンパの訴えは、300万円をこえました。昨年の福島大会では、私が大会運営委員としてカンパを訴えました。今年は、千円札を入れた方が多かったですね。

特別企画のクミコさんの歌とお話も期待通り。「INORI~祈り~」の歌を広島で聞けたのは何よりでした。偶然、NHKの番組で彼女のことをとりあげていましたので、震災当日に石巻市にいて被災した体験もよくわかりました。震災後歌うことができず、再び石巻市で歌えて歌手としての再出発ができたとのこと。

運動の交流は、被災地3県からの訴えからはじまりました。特に、福島の4歳と9歳の母親の決意「すみつづけられる福島にしたい」は涙がでてきました。大阪の日の丸・君が代のおしつけ、日本航空指名解雇、TPP、消費税、普天間基地と次々に訴えがあり、私は、大きな拍手で応援しました。どれも権力の横暴にたちむかっているたたかいです。母親・女性たちのエネルギーを感じます。最後は、15基もある福井県をはじめ、上関(山口)、伊方(愛媛)、玄海(福岡県)、浜岡(静岡)から、原発は要らないのとりくみの報告があり、会場の参加者と思いを重ねました。原発からの撤退を決めなければ、将来に禍根を残します。全国の母親女性たちが子どもを守るためにこんなにがんばっている、それを実感できる全体会でした。

私も江戸川の仲間17人と参加でき、うれしかったです。来年は新潟です。また参加できるように1年間がんばります。