荒川放水路とスーパー堤防?

12月18日、災害対策・まちづくり特別委員会で、荒川の岩淵水門にある「荒川知水資料館」に視察に行きました。展示されている資料は、荒川放水路の計画や開削工事の歴史、荒川放水路の果たしてきた役割などです。

当時の資料によれば、荒川放水路の開削工事(1911年から1930年の20年間)で移転を余儀なくされた住民は1300世帯、移転対象地域には、民家、田畑、鉄道、寺社も含まれた大規模なものでした。「資本主義の高度化による工場労働者の大量の流入とこれらの労働者が交通交通機関の発達にともなって主として郊外部に居住地をひろげていった」(荒川河川事務所パンフより)ため、農地が住宅地に変化したことにより、隅田川の下流の洪水被害が深刻になったことから、荒川放水路の計画ができました。ルートは4つありましたが、「治水上の効果や実現性、宿場町として栄えていた千手町を迂回するなどの背景から、現在のルートが採用されました」(同パンフ)放水路ができてから住宅が急速に増えたことが展示されていました(写真参照)。

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100年前の移転対象になった1300世帯の方たちも大変な思いをされたことでしょう。そのおかげで、荒川放水路ができました。歴史を知らないと見落としてしまうことがたくさんあります。

では、江戸川区がすすめているスーパー堤防事業はどうなのでしょうか。江戸川区内のすべての川をスーパー堤防にするのに約4万世帯9万人の移転が必要で、費用も約2兆7千億と試算されています。また、人口密集の地域で本当に必要な事業か、北小岩は区内で最も土地が高い地域である、住民犠牲でおしすすめても治水に役に立たない事業だという指摘に十分な説明がありません。平井4丁目の東電跡地はスーパー堤防事業対象地区にもかかわらず、盛土をしないマンション建設を区は認め建設がはじまっています。北小岩一丁目東部地区の住民はすべて移転し、今、盛土が行われようとしています。住民の多くの反対をおしきって区が強引にすすめました。「すべてスーパー堤防にする」「できるところからやる」と言いながら、大手の会社が建設するマンションの新築を盛土なしで認め、北小岩では住民を公権力を使っておいだすというのはあまりにもひどいではありませんか。

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こんどは篠崎地区です。住民の声をうけとめ、スーパー堤防事業は見直し、スーパー堤防より有効な治水対策を優先させるべきです。

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